FC2ブログ
横須賀のカウンセラーのブログです。『箱庭療法』を中心に、カウンセリング・心理学全般を考察中。映画や本についての感想もUPしています。
2007年2月22日(木)平日 休職31日目 晴れ ?度

 休職して1ヶ月が過ぎた。
 が良くなっているかはわからない。
 は言われたとおりに飲み続けている。

 今日は12時に起き、ブログチェック。
 そのあと、サウナに行くことにした。
 前にも書いたけれど、
 風呂に入るのが、すごく億劫。

 サウナなら、入れる。
 時間も潰せる。
 ということで決定。

 晴れているから、歩いていく。
 昼をどうしようか悩んだが、
 サウナの堂でよしとした。
 いろいろ考えるのが
 面倒くさい。

 サウナに入り、堂で、
 コーヒーとラーメン。
 ここのラーメンもうまくはないが、
 何となくべたくなる。
 立ちいそばと同様。

 5時まで、実録やくざ漫画を3冊、
 読了し、明るいうちに帰る。
 日が長くなったようだ。

 帰りは『茶屋』に寄り「鯖の味噌煮定
 ここは、お米屋さんが、
 経営している店で、
 ご飯が美味しい。
 しかも、おかわり自由である。
 回転すし屋も併設してあり、
 平日ならお任せで、
 直に客の好みを聞きながら、
 握ってくれる。
 ちょっと遠いので、なかなか、
 行けないのが残念。

 家に帰り服
 テレビを見ながらヴァイオ君と
 ルーティンワーク。

 9時からDVDで映画TAKI183』を見る。
 けっこう、マイナーな映画なのかな。
 ボクも初耳。
 あんまり期待をしないで見たが、
 正解だった。

 『TAKI183』は、今は少し寂れたが、ちょっと前にはずいぶんと問題となった、ストリートアートのこと。
 あの、ポスター・カラーで文字やら落書きなどを、壁とかにする奴。

 全世界同時発生的に起こった不思議な現象として有名だが、映画ではニューヨークで、この「TAKI183」のサインのある、不思議なアートから広まったとしている。

 この映画でも言っているように、「99%は落書き、1%だけがアート」として認められる価値がある。神奈川で言えば、関内から桜木町の高架下が、こんな落書きが広まる前から有名だが、この落書きアートは、社会の荒れの顕在化と言われている。

 この映画では、五人のグループが、渋谷にて、そのストリートアートをしていて、警察にも目を付けられているが、なかなかの腕前。

 そのグループが、老朽化した「するめ屋敷」と呼ばれるビルにアートを描くことから、物語は始まる。「するめ屋敷」の住人のおばあさんは、警察に捕まった五人に千円札を渡し、自分が頼んだと言う。無罪放免になった五人は喜ぶが、その後、リーダーである、トミーは、創作意欲が湧かなくなり、五人はバラバラの人生を歩むようになる。

 その後、「するめ屋敷」周辺は、観光的スポットとして、一時的に話題を呼ぶが、忘れられていく。「絵を描く」という意味を探しあぐねていたトミーは、あるとき、「するめ屋敷」の自分たちの絵に×印がつけられ、「屋敷」が明日、解体されることを知る。

 トミーはそこにもう一度、絵を描こうと決意する。バラバラの人生を歩んできた五人は不思議な因縁に導かれ、一人また一人と、もう一度自分の人生をやりなおすかのように、絵を描くことに加わっていく。

 まあ、言いたいことは分かる気がするが、ボクはあの落書きが大嫌いだ。あんなものを美術・芸術と認めることはどうしてもできない。同時に美術として世間に認められてはいる、前衛的な芸術と称するものも、好きではない。現代美術がすべて悪いと言っているわけではないが、石を1個置くだけで、「芸術」として評価されることがあるのが嫌だ。

 美術ってえのは斬新であれば良いというものではないはずだ。

 当然、トミーらが描いたアートも、翌日には解体工事でなくなってしまう。


 今日の名言

 一泊二日の心の探検。意味なんて見つからなかった。
 もっと大事なことを知った。
 意味よりも今だ。

 オレはスプレーで呼吸する。
 バカにしか感じられない風がある。
 目が見えない奴にしか見えない光がある。
 
 意味よりは今。


 「ナスカの地上絵」をプリミティブな美術への衝動ととらえ、この現代のストリートも、そういう原始的な芸術への発露だと考えるのは自由だが、それは、あまり説得力がない主張だと思う。


スポンサーサイト