

今日は出勤。上司と今後のことを話して帰る。
昨日は和室の掃除。
久しぶりにCDをゆっくり聞き、読書にふける。
元の状態に戻ってきたような気がする。
今日は職場に行ったのと、
低気圧が近づいているので、身体がだるい。
トイレそうじだけやって終わりとする。
どうやら明日は大雨のようなので、
一日家にこもるつもり。
キッチンか、浴室の掃除だな・・・
今日は、昨日のTV「NHK その時、歴史は動いた」を見て、
心動かされるものがあったので、それについて書く。
ちょいと文章が難しい。

『全国水平社宣言』(NHK「その時歴史は動いた」)
日本における事実上初の「人権宣言」と言われる『全国水平社創立宣言」
被差別部落民として、長い歴史の中で蔑まれて来た人たちが、自分達の権利は自分達で団結して守ろうと立ち上がった記念碑的な宣言文である。
起草者は奈良の被差別部落民であった「西光万吉」
情熱的で格調高く、そして怨念のようなものまでもが感じられるこの文章は、今読んでも人の心に訴える何かを持っている。
明治の時代、「四民平等」として出された「解放令」では、「エタ・非人」も明治天皇の「天恩」によって「平民」に組み入れられた。つまり、天皇の特別な配慮によって「普通の人」にしてあげるよってことである。
そもそも、「四民」とは「士農工商」のことであり、ここにもともと被差別部落民は含まれていないのだ。
したがって、差別が止むこともなく、彼らは生まれながらに教育・就職や結婚とありとあらゆる差別を受け続ける。彼らは出自を隠さなければ、ろくな就職口もなく、結婚もままならないままに貧しい生活を余儀なくされる。
そんな中、「米騒動」が起こり、中に部落民も参加していたとされ、多くの被差別部落が官憲による弾圧を受ける。この後、時の行政もさすがに放置のままに出来ず「融和政策」で懐柔しようとしたのである。
つまり、「差別されるのはあなた方に問題があるからなので、それを改めれば、差別もなくなるだろう」という論理である。例えば衛生的な生活をせよ・・・とか・・・物事に感謝せよ・・・とか。
「そりゃ、いくら何でもおかしいだろう」と考えた「西光万吉」は、同士を集め、人々を説得し、「水平社」の設立に奔走する。出自を隠して息をひそめて暮らしてきた多くの部落民たちが、勇気を持って、差別と戦う決意を固める。それが「水平社」の全国的なうねりへと繋がっていく
まさに歴史が動いた瞬間だったのである。
宣言
全國に散在する我が特殊部落民よ團結せよ。
長い間虐められて來た兄弟よ。
過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた我等の爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが我々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を※勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際我等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ。
我々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへクダラナイ嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そうして我々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
我々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
水平社は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間に光りあれ。
大正十一年三月三日 全國水平社
決議
一、吾々に對し穢多及び特種部落民等の言行によつて侮辱の意志を表示したる時は徹底的糺彈を為す
一、全國水平社本部に於て我等團結の統一を圖る為め月刊雑誌『水平』を発行す。
一、部落民の絶對多数を門信徒とする東西兩本願寺が此際我々の運動に對して抱藏する赤裸々なる意見を聴取し其の回答により機宜の行動をとること
右決議す
大正十一年三月三日 全國水平社創立大會
※勦(いた)わる」は人間を潰してしまうという意味の漢字。同情。「労わる」とは明らかに違う。
この「勦(いた)わる」という語に「我々は同情で受け入れてもらうのではなく、人間の生まれながらの権利として差別と戦う」という強い意志がこめられているという。 最後にある一人の女性の言葉が印象的だったので引用して終わりとする。
「他人を貶めるものは、結局、自分自身をも貶める」
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似たような熱い熱気が、今、全国に吹いている。
いわゆる『インディーズ系』(フリーター・派遣・ネット難民等々)の「自由と生存」の戦いが、
全国的なうねりとなりつつある。
詳しくはここ→ 『マガジン9条』バックナンバーも見られます。
憲法9条を守る「9条の会」も、なおも増殖しつつある

ボクは今の行き詰った政治の状況を変えるためにも、憲法を本当の意味で生かすことが大事だと思っている。
おやすみなさい。

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「同和問題」は未だに良く知らない人も多いと思います。
ボクも特別に詳しいわけじゃないけど・・・
学生の時に何冊か本を読んだ程度です。
差別がなくなるかどうかは分からないけれど、
なくすように粘り強く取り組むことが大事なのだと思います。
気が遠くなりそうだけど、良くなりつつあるのは歴史が確実に証明しています。
江戸時代と比べてみれば、それは明らかでしょう。
私は同和問題のことは、社会人になって職場で話があり、初めて知りました。
でも、差別はなかなかなくならないようですね。
他にも色々な差別がありますね。
誰もが平等になれる日は来るのでしょうかね。
正直に言うと、ボクはこの記事を書く時、本当にほんのちょっとだけれど、抵抗を感じました。
「ああ、これが差別意識って奴なのかなあ」とぼんやり思いました。
確かに「同和団体」と名乗って私利私欲のために圧力をかける事例も良く見かけますね。この「宣言」をもう一度良く噛み締める必要があると思います。
差別の根っこは深くて、「いじめ」の問題から「戦争」の問題まで、広範囲に関わっています。でも、「目を伏せることなく、事実をかたりながら」自分自身の内側にも問いかけていかなければいけないと思います。
みんなが生きやすい世の中にするためには避けて通れる問題ではありませんね。
それでも、その頃から時代は変わっても、良い方向に進んでいるのかはまだ疑問符が残ります。
今の時代でも、差別はありますし、逆に奈良の職員のように被差別部落出身を笠に着て、昔の戦われた人の崇高な思いを忘れてしまって、私利私欲に走っている人たちもいます。
今の時代でも、部落だけでなく、障害者、人種、職業などの差別もあると思うので、根が深い問題ですよね。。。
私たち今の大人達が、この時代のことも、目を伏せるのではなく、事実を語りながら、今後差別をしないように未来を担う子供達に受け継いでいってもらいたいですよね。
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