今日から休職生活の始まりである。本当は、ちょっとした変化が起こったのだが、それは、また、後で述べることとする。まずは、朝の話。
「鬱」は朝が大事である。10時に目覚めたが、何ヶ月ぶりかのすがすがしい気分。久しぶりのこの気分を堪能した。昨日、今日は完全OFFにすると宣言したが、一つ大事なことを忘れていた。もう1件、医師から診断書をもらわなければならなかったのだ。
前回、「鬱」でもうどうしようもなくなって、あちこちに電話をかけまくったのだが、「心療内科」「神経科」「精神科」のどこも、いっぱいで、絶望的な気分を味わったことが頭をよぎる。
急いで、今通っているクリニックから紹介されたところに電話をする。やはり、いっぱいという返事だったが、無理無理に頼み込んで、なんとか1件、30日の2時半(実際に行くのは1時半)の予約を取り付けてホッとする。良い先生だといいのだが・・・。
でも、病院も、受付の対応が違うと受けるイメージが違うね。ちゃんと話を聞いてくれるのと、「何があろうとダメです。」っていうのとか・・・。こっちは死ぬ思いですがりついているのに、にべもなく断られると、その分、傷口が開いて来るような気までしてくる。
まあ、とにかく予約だけは取れたので、一安心。折り返し、職場に連絡して予約が取れた由を伝える。これで手続き上は問題なく済みそうだ。しかし、また、頭を悩ますことを言われる。「休職期間を一年にした方が良いのではないか。」ということ。ボクも短くて3ヶ月。うまく行くには半年位の期間は必要とは考えていたが、1年間となると、ちょっと想像ができない期間だ。経済的なこともあるし、判断に迷う。相変わらず迷路から抜け出られない状態だ。
そんなことを抱えながら、昼食を取りに外へ出る。途中で郵便局に寄り、NTTカードの申請書を送る。前にラーメン屋だったところに、新しいラーメン屋が作られたことを知る。今日は開いていなかったが、次は試しに行ってみる予定。「○○○家」にて、親子丼をランチで食す。おつまみ、つけもの、ヨーグルト、味噌汁。コーヒーまでついてワンコイン、500円なり。相変わらず安いぞ、がんばれ「○○○家」
家に帰ってからPC君をいじくりまわして、5時まで時間をつぶす。ブログ・HP・ポイントサイトをまわって、ネットサーフィン。夜、眠れなくなっては困るので、この時間帯は極力寝ないようにしている。5時半に外へ出て、「ローソン」でカップラーメン「でかまる ねぎとんこつ味」と玉子サンドウィッチとからあげくんを買い、おやつのチーズクラッカーを仕入れて夕食とする。
今週いっぱいを「身辺整理キャンペーン」と名づけ、今までできなかった「掃除」「洗濯」「もろもろの雑事」をじっくり、ゆっくり片付けていくことにする。そのうち休職中の過ごし方も見えてくることだろう。
さて、今日は映画『ゲド―戦いのはじまり』 アニメの宮崎駿の息子が作った『ゲド戦記』とは違うから注意するように。もちろん、原作は「ル・グウィン」で一緒だが・・・『指輪物語』『ナルニア国物語』と合わせて、世界三大ファンタジーの一つである。期待はするが、話題にはなっていないので果たしてどうだろうか。感想は余裕があれば書くことにする。
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『ゲド』 思ったより、中々良かったですよ。映画の『指輪物語』と『ハリー・ポッター』を二つに割ったイメージと言えば伝わりやすいでしょうか。映画ではなくて、もしかしたら外国のTVドラマかも知れませんが、CGも含めて、映像は、かなりの完成度。
ボクは実は上で述べた三大ファンタジーの中では、一番、とっつきにくいものだったんです、1巻目はゲドの若さゆえの傲慢さが鼻につき、いらいらすることばかり。でも、こうやって映像にすると、そういう部分は削られて、面白くなるもんなんですね。
映画ははじめから10分くらいで、ベッドシーンが入ったりして、ねらいはむしろ大人向けなのかなとも思う。2編治められているけれど、どちらも10分くらいで、すぐベッドシーンが起こる。日本の「混浴温泉殺人事件」みたいな感じかな。でも、力の入っている作品。
ボクのうろ覚えで申し訳ないけれど、これは『ゲド戦記』の一巻分くらいかなと思う。
基本的なストーリーは、「アースシー」というあちこちの島国が、邪悪なもの達にめちゃくちゃになりそうになった時に、エスファーラン姫を始めとする巫女団が彼らを封じ込めなんとか平安を保ったのだけれど、その封じ込めに必要とした腕輪が、何者かによって破壊されたため、この世にまた混乱がもたらされそうになっている時代。天下統一を狙うのは「カルガラン」という国の王様「タイガス」 ゲドは、予言によって、天下の平安をもたらす存在となる。
実は、ここには「ユング」のいう元型が良く現れているような気がしてならない。主人公の「ゲド」が常に戦い続けなければならない存在として、彼が闇の国から呼び戻した「ゲペス」という人間が「ゲド」の「シャドウ。」 魔術師「オジオン」や大賢人「ロマール」は文字通り
「賢者。」そして、「アニマ」には「テナー」とう巫女。そして、親友の「カラスノエンドウ」はトリックスター。見事な役割分担だと思う。
ただし、それは原作が良くできているからで、この映画を作った人間はそんなことは関係ないだろう。「物語の定型」をきちんと抑えただけである。
しかし、このお話で気になるのは「真の名」という言葉。例えば、主人公の「ゲド」の真の名は「ハイタカ」 その名を知ると、魔術がかけられると言う。実は、このような例は日本にも在って、本当の名前を知られると、その人の言うなりになってしまうという例(特に女子)が散件されるのである。そのため、古代においては、実名が残されている女子の例は少ない。たいがいは「○○の妻」とか「○○の娘」などと表現されている場合が多いのだ。女性は特に知らない人間に本名を名乗ることは物語や和歌の上ではない。『源氏物語』の女性達を思い出してみるが良い。本名など一つもない。これは、世界共通のものなのだろうか。もしそうであるならば、ユングの集合的無意識も分からないでもない論理になる。もっとも、人類の発達の歴史はどの国も同じようなものだ、と言ってしまえばそれだけなのだが・・・。
今日の名言
ゲド「必死で飛んだ。師匠なら助けてくれると・・・でも逃げられない」
オジオン「影の名は?」
ゲド「誰も知らない。」
オジオン「戦うしかない。」
ゲド「戦う?二度も逃げ出した。」
オジオン「三度目の正直だ。」
ゲド「そんな力はないよ。ここに残ることもできない。巻き込めない。」
オジオン「分かった。それでは、少し耳の痛いことを話そう。」
ゲド「何?」
オジオン「向き直れ!」
ゲド「向き直る?」
オジオン「そうだ。逃げるだけでは敵の思うつぼだ。これから進む進退は自分で選べ。追う側にまわるのだ。」
映画『ゲドー戦いの始まり』より。
この作品って、ひょっとしたら、傑作になるかも。少し大人向きだけれど、続編が見たいと思う。
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